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武豊騎手が強いと言われる理由は?過去の成績や獲得賞金を紹介

武豊JRA通算4400勝写真

日本競馬界のレジェンドと言えば『武豊騎手』。

競馬をあまり知らないという方でも一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか。

しかし、名前は知っていても武豊という人物がどんな人生を歩み、どのような功績を残してきたかまでは知らない方も多いのではないでしょうか?

本記事では、最近競馬に興味を持ち始めたという方でもわかりやすく、以下の項目に沿って武豊騎手について解説しています。

  1. 武豊とはどんな人物
  2. 武豊の騎乗スタイル
  3. 武豊の印象的なレース
  4. 海外レースや生涯年収について

まずは、レシェンドと言われるようになるまでの武豊の生い立ちから現在までの経歴を紹介します。

この記事の監修者
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競馬予想サイト解体新書 責任者
河田 孝太郎

1965年8月8日生まれ。日本中央競馬学校中退。

元ジョッキーの父親に憧れJRA所属の騎手を目指すが一身上の都合により断念。某有名競馬場で厩務員として働いていた際にフリーライターとして訪れた福岡と意気投合し、競馬予想サイト解体新書設立に参画。

責任者を務める。

競馬歴40年。一口馬主にハマり、2021年はレッドベルオーブ他3頭を購入。

競馬予想サイト解体新書では主に検証記事を担当する。

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武豊ってどんな人物?デビューは何年?

武豊

  • 生年月日:1969年3月15日                                              
  • 身長:170cm        
  • 体重:50kg
  • 所属:栗東
  • 血液型:O型
  • 星座:魚座

1969年に京都府京都市伏見区淀で生まれた武豊は、翌1970年に滋賀県栗東市にあるJRAのトレーニングセンターへ転居し、物心がつく前から馬と触れ合う生活。

騎手だった父の影響もあり、自然と騎手になりたいという夢を持ったようです。

そんな武豊の将来の夢は、騎手として日本ダービーで勝つこと!

小学校5年生の時には栗東乗馬苑の一員となり、本格的に乗馬を習い始めます。

武豊のJRA競馬学校時代

栗東中学校を卒業後、1984年春に騎手課程第3期生としてJRA競馬学校に入学しました。

武豊高校時代

※出典:競馬学校卒業時の武豊騎手

当時から『武の馬乗りの技術は高かった』と教官たちは口を揃えて話していたと言われています。

加えて、武は実技だけでなく馬学の成績も学年トップで卒業しました。

また、アメリカの競馬雑誌を読みアメリカの一流騎手たちが叩きあう映像を見て、アメリカ競馬に憧れを抱くようになっていきました。

2年生の10月には、騎手デビュー後に所属する武田作十郎厩舎の実習生となり、3年9月まで実習を行っていました。

デビュー後の活躍

高校を卒業した武豊は栗東の武田作十郎厩舎となり騎手デビューを果たします。

初騎乗は1987年3月1日阪神4レースにアグネスディクター。6日後の3月7日阪神第3レースでダイナビショップに騎乗し、待望の初勝利を飾りました。

武豊初勝利

9月12日に42勝目を挙げ、関西新人最多勝記録を更新すると27年ぶりに新人最多勝記録を更新し、同年JRA最多勝利新人騎手を受賞しました。

G1初勝利は1988年の菊花賞。

19歳8ヶ月でJRA史上最年少クラシックを制覇し「天才」として脚光を浴びました。

バブル景気により日本に第2次競馬ブームが起こった1989年に頭角を現した武は一気にブームの主役に。

1990年には競馬ブームの主役であるオグリキャップとタッグを組み、奇跡のラストランと今も語り継がれる同馬のラストレース(有馬記念)で勝利しました。

日本ダービー制覇は1998年

そんな武豊騎手が苦戦したのが、競馬の祭典と称され、すべてのホースマンの夢舞台といわれる『日本ダービー』。

初騎乗から10年、日本ダービー以外の八大競走をすべて勝利していた武豊も日本ダービーのみ勝利を逃し続けていました。

後にマスコミやファンの間では、武豊は日本ダービーだけは勝てないと言われるまでに。

そんな中、迎えた1998年の第65回日本ダービーでスペシャルウィークに騎乗し、10度目の挑戦でついに悲願の日本ダービー優勝を果たしました。

日本ダービー初優勝時

※出典:1995年の日本ダービー初優勝時

勝った時はガッツポーズをやめ、クールに決めようと考えていた武豊騎手も、17万人の観衆で埋め尽くされた会場からの「ユタカ」コールに、何度もガッツポーズを繰り返していました。

この瞬間を「人生で最大・最高の瞬間」と本人も振り返っています。

レース前、メディアに向けて表向きには「日本ダービーは特別ではない」「いつか獲れるから焦っていない」と答えていましたが、後に本心でこう語っています。

自分の今まで積み重ねた勝利全てと引き換えにしてもいいと思うほど、ダービージョッキーの称号が欲しくてたまらなかった。

その翌年も勝利した武豊騎手は史上初の日本ダービー連覇を達成し、現在までに日本ダービーで6勝を飾っています。

武豊の落馬事故

多彩な手綱さばきで評判の武豊騎手にも落馬事故があります。

2010年3月27日に阪神競馬場で行われた毎日杯。

騎乗したサダイキがレース中の故障発症により転倒し、乗っていた武も頭からコースに叩きつけられ重症を負い全治半年と診断されました。

落馬事故

※出典:落馬事故発生時

左肩にプレートを入れる手術を受け、リハビリを重ね、8月1日に127日ぶりに実戦復帰しましたが、この時はまだ万全な状態ではなく、無理をして復帰していたことを後に明かしています。

万全な状態ではない武は、思うように勝てないレースが続き2011年にはデビュー以来最低の年間64勝、2012年もそれをさらに下回る56勝に終わりました。

この成績低迷期について本人は「競馬が楽しくなかった」と語る一方で、そんな状況だからこそ「自分の真価が問われているんだ」と自分を叱咤激励し続けたといいます。

挫折を乗り越え4000勝到達

落馬事故からの嫌なイメージを払拭したのは、2013年3月毎日杯をキズナで勝利したレースだといいます。

それから2ヶ月後の第80回日本ダービーでもキズナに騎乗し見事ダービー馬に導きました。

自身も日本ダービー最多勝記録を「5」に更新。このレースを振り返り「僕のジョッキー生活の分岐点だった」と後に語っている通り、このレース以降は成績を向上させています。

2015年には6年ぶりに年間100勝に到達し、2016・17年にはキタサンブラックとコンビを組み、同馬を2年連続年間代表馬に導いています。

そして翌年2018年、未だ誰も成し遂げたことがないJRA通算4000勝に到達しました。

4000勝達成時

※出典:前人未到の4000勝達成

2019年には年齢も50歳を迎え、菊花賞では史上最年少と最年長で勝利した騎手になったことに加え、昭和・平成・令和でG1を優勝した史上初の騎手になりました。

2023年時点で騎手生活37年目を迎える武ですが、長く続けられる秘訣についてはこう答えています。

競馬が一番の支えであり、励みで目標も常にある。またいいことがあると思って毎日頑張っていることの積み重ねです。

引退については「毎週競馬場やパドックにいたい。辞めたくない。これからも勝ち続けいろんな人をえ笑顔にできたらいい。」と語り、53歳になった今でも常に向上心を持ち続けています。

そんな姿勢や考え方がこれまで多くの記録を作り、塗り変える事に繋がっている要因かもしれませんね。

武豊騎手の騎乗スタイルについて

馬の適性把握や勝負感が優れている武豊騎手の騎乗スタイルは一体どういったものなのか?

多くのレースを見てきた私が考える武豊騎手の特徴を項目毎に解説していきます。

特徴

武豊騎手の大きな特徴は絶大人気馬に騎乗し、プレッシャーがかかるレースでも落ち着いて騎乗ができる精神力と、馬への負担が少ないフォーム、レースのペース配分、抜群のスタート力が有名です。

スタイル

序盤は折り合いをつけ馬の脚を溜め、4コーナーをロスなく回り直線では末脚を爆発させるスタイルであるが、馬のタイプによってもレーススタイルを変えることができ多くのレースパターンを持っています。

騎乗フォーム

映像をみると、どのレースも肘で自らの体重を支え、追ったときもフォームがブレずに安定しています。

見た目も綺麗に見えます。年齢を重ねても体の体幹などがしっかりしているのでしょう。努力の賜物です。

武豊騎手の主な成績

ここからは武豊騎手の成績を国内・国外に分けて解説したいと思います。

国内での成績(直近10年のG1レースのみ)

年月日 レース名 馬名
2023/04/02 大阪杯 ジャックドール
2022/05/29 東京優駿 ドウデュース
2021/12/19 朝日杯FS ドウデュース
2019/10/20 菊花賞 ワールドプレミア
2019/02/17 フェブラリーS インティ
2017/12/24 有馬記念 キタサンブラック
2017/10/29 天皇賞(秋) キタサンブラック
2017/04/30 天皇賞(春) キタサンブラック
2017/04/02 大阪杯 キタサンブラック
2016/11/27 ジャパンカップ キタサンブラック
2016/05/01 天皇賞(春) キタサンブラック
2015/02/22 フェブラリーS コパノリッキー
2013/11/17 マイルCS トーセンラー
2013/05/26 東京優駿 キズナ

2023年4月2日大阪杯でG1通算80勝を達成し、岡部幸雄の持っていた史上最年長G1勝利記録を更新。

2022年5月29日には東京優駿で勝利し、同競走歴代最多の6勝目を飾りました。

記憶に新しいのは、2017年4月30日キタサンブラックで天皇賞(春)を優勝したレース。

同レース8勝目は今も破られていない最多勝利記録です。

国外での成績(直近10年のレース)

年月日 レース名 馬名
2013/09/15 ニエル賞 キズナ
2015/12/13 香港C エイシンヒカリ
2016/03/26 UAEダービー ラニ
2016/05/24 イスパーン賞 エイシンヒカリ
2017/09/10 コリアスプリント グレイスフルリープ
2018/07/22 メシドール賞 ジェニアル
2020/02/29 サウジダービー フルフラット

2017年に世界の競馬界に多大な影響を及ぼした人物や組織を対象にした「IFHA国際功労賞」を受賞。

この賞は日本人として初めてなだけでなく、騎手として初の受賞となりました。

2019年にはイギリスのアスコット競馬場のアンバサダーに就任。

2020年にはサウジアラビアのキングアブドゥルアジーズ競馬場で行われたサンバサウジダービーにて日本人初優勝し、自身海外9カ国目の勝利を挙げました。

武豊騎手の国内外の記録一覧

JRAでの記録

JRA勝利数 内容 備考
JRA通算勝利数 4417勝 JRA史上最多
通算勝利数(JRA所属馬) 4597勝 JRA史上最多
通算重賞勝利数(JRA) 354勝 JRA史上最多
通算G1勝利数(JRA) 80勝 JRA史上最多
JRA通算騎乗数 20417 JRA史上最多
一日最多勝 8勝 世界タイ記録

重賞連続勝利をデビューから36年間今もなお継続しています。1999年には史上初めて東京優駿を連覇しています。

海外レースでの記録

記録 日付 レース 騎乗馬 備考
海外重賞制覇 1991/08/22

セネカH

エルセニョール 史上初
海外G1制覇 1994/09/04 ムーランドロンシャン賞 スキーパラダイス 史上初
仏国G1制覇 1994/09/04 ムーランドロンシャン賞 スキーパラダイス 史上初
英国G1制覇 2000/07/13 ジュライC アグネスワールド 史上初
日本調教馬海外G1制覇 1998/08/09 モーリスドギース賞 シーキングザパール 史上初
日本生産調教馬海外G1制覇 2001/12/16 香港ヴァース ステイゴールド 史上初

国外での通算勝利数は119勝。

年末年始や夏にはほぼ毎年のように海外渡航し、これまでに9ヶ国で勝利を挙げています。

海外挑戦6年目の1994年にはJRAの日本人騎手として史上初の海外G1制覇を達成しました。

武豊騎手の年収は?生涯獲得金額は860億!?

騎手の年収は中央競馬と地方競馬でそれぞれ異なりますが、JRA騎手の平均年収は1,000万円とも言われています。

騎手には2つの働き方があり、1つめは厩舎所属で2つめはフリー契約になります。

年収の計算について

騎手の年収の計算は次のように算出できます。

  • (レース賞金×5%)+レース出走手当+調教馬の調教手当

ただし、調教料は1等数千円で1日5頭まで。平地レース賞金=5%、障害競走=7%といった決まりもあります。

年度別年収(過去10年分)

年収 騎手の平均
2022年 1億2493万 3089万
2021年 9509万 3988万
2020年 1億4534万 3966万
2019年 1億4516万 3766万
2018年 1億1584万 3948万
2017年 1億6189万 3936万
2016年 1億4567万 4019万
2015年 1億4361万 4037万
2014年 1億2782万 4041万
2013年 1億4289万 4045万

武豊騎手の直近10年間のトータル年収は13億4833万円。

2021年に発表された世界のジョッキー生涯獲得賞金ランキングでも1位となっています。

また、このランキングでは上位陣を日本勢が占めており、世界的に見ても日本のジョッキーの年収の高さや競馬人気がうかがえます。

まとめ

本記事で紹介してきた武豊騎手は、まさに日本競馬界を変えた人物といえます。

武豊騎手が活躍することで、日本中央競馬会の売上は爆発的に伸び、競馬ブームがおとずれたとの声も聞くようになりました。

自身も競馬界を引っ張っていくという意識が芽生え、メディア露出を増やして自分とは別に『武豊』というキャラクターを作っていったとも言います。

こちらの記事を読んで武豊騎手についてより興味を持った方は、実際に競馬場に足を運んで生の武豊騎手を見に行ってみてください。

武豊騎手の5月の重賞レースでの騎乗予定は次の通り。

会場 レース名
5/7 東京 NHKマイルカップ(G1)

彼はこれからも多くの記録を塗り替え、多くの競馬ファンを魅了してくれることでしょう。