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競馬界のレジェンド横山典弘を徹底解説!

祖父と父が元騎手で競馬一家に生まれた横山典弘

競馬界のレジェンドである武豊騎手よりも1つ上の世代ですが、今でも第1線で活躍を続けるトップジョッキーのひとりです。

本記事では、最近競馬に興味を持ち始めた方にもわかりやすく、以下の項目に沿って横山典弘騎手について解説していきます。

  • 横山典弘はどんな人物?
  • 主な騎乗成績
  • タッグを組んだ馬・印象的なレース
  • 家族構成
  • 年収や今後のレース予定    

是非、最後までご覧ください!

まずは、ルメール騎手のプロフィールや生い立ち、現在までの経歴を紹介していこうと思います。

横山典弘のプロフィール

yokoyama

  • 生年月日:1968年2月23日(55歳)
  • 出身:茨城県
  • 身長/体重:163cm/49kg
  • 所属:美浦
  • キャリア:38年目

祖父と父が騎手出身・叔父が調教師という競馬一族の中に生まれたこともあり、物心つく前から馬と触れ合う生活を送っていました。

1つ上の兄も騎手を目指していたということで横山も自然と騎手になることを夢見ていたそうです。

競馬学校卒業後からデビュー後の活躍

1986年に日本中央競馬会競馬学校を2期生で卒業し、同年3月1日に中山競馬場2Rでレースデビュー。

2ヶ月後の4月29日に東京競馬場12Rでキオイゴットに騎乗し初勝利を飾りますが、デビュー年は苦戦し年間8勝に終わります。

1年目は苦しんだ横山騎手でしたが、2年目は31勝、3年目にはウィンターステークスを制し重賞を初制覇しました。

1990代の活躍

5年目の1990年にはキョウエイタップでエリザベス女王杯に勝利して、G1初勝利し、1991年にはメジロライアンとコンビを組み宝塚記念を制しました。

G1初制覇

※出典:G1レース初制覇後の横山(1990)

その後も実力を伸ばし続け、1995年にはG1・3勝を挙げて年間130勝を達成し、関東リーディングジョッキーの座に輝きます。

1996・1998年にもG1で3勝ずつを挙げ人気・実力ともにトップジョッキーの仲間入りを果たしました。

この頃の印象的なレースといえば、圧倒的な実力を示した1998年の京都大賞典(G2)でしょう。

序盤から大逃げを打ち20馬身近い差をつけると、中盤では1度落ちたスピードを敵が迫ってきた終盤に再び加速させるとんでもないレースを見せつけ優勝しました。

京都大賞典

※出典:とんでもない大逃げを見せた京都大賞典

1990年後半はコンスタントに年間100勝以上を記録し、ジョッキーとしての実力を一気に伸ばしていきました。

15回目の挑戦!悲願のダービー初制覇(2009)

この前の年までに1日騎乗機会連勝記録の6連勝やJRA通算100勝を挙げるなど、多くの記録を保持した横山騎手ですが、日本ダービー制覇の壁だけは破れていませんでした。

そんな中迎えた2009年、デビュー24年目、15回目の挑戦でロジユニヴァースに騎乗し悲願のダービージョッキーの称号を手にしました。

同年には8歳馬のカンパニーで天皇賞(秋)を20度目の挑戦で初勝利。

JRAでは史上初の8歳馬の平地競走G1レース制覇の記録も打ち立てました。

カンパニーは引退レースとなったマイルチャンピオンシップも勝利し、多くのレースでコンビを組んだ横山騎手も「人間の想像を超えた馬」と最大級の評価をしています。

2010年以降の活躍

2010年は5月16日時点で重賞10勝目を挙げ、優駿牝馬史上初となる父子騎手制覇も達成します。

しかし同年の9月26日中山競馬3Rで頚椎損傷、頭蓋骨骨折の重症で選手生命も危ぶまれますが、驚異的な回復を見せ11月13日には復帰を果たしました。

こうしたアクシデントがありながら、この年は年間120勝を挙げ、自身初の中央競馬リーディーングジョッキーに輝いています。

7年ぶりとなった2014年の台覧競馬(日本ダービー)ではワンアンドオンリーに騎乗し、自身2度目の制覇を達成しました。

台覧に訪れた皇太子徳仁親王と横山、ワンアンドオンリーは誕生日が一緒でした。

2017年には函館競馬場・札幌競馬場で開催される現行の8競争を完全制覇し、史上初の快挙を成し遂げています。

横山騎手は今年で56歳となりますが、第一線で活躍を続け、通算勝利数2918勝で3000勝まで残りわずかとなっています。

未だ武豊騎手しか成し遂げていない史上2人目の通算3000勝を目指し、これからも戦い続けてほしいです。

横山典弘騎手といえばこの馬・このレース!!

ここからは横山騎手がタッグを組んできた馬や印象的なレースを紹介していきます。

タッグを組んだ名馬

メジロライアン

メジロライアン

デビュー4年目の若手騎手だった横山が主戦騎手を務め、騎手としての心技体の成長に大きく関わった馬です。

G1勝利こそ1991年の宝塚記念の1勝のみですが、横山騎手は「ライアンが一番強い」「もっとうまく乗ってあげられていれば、もっと勝てていた」と語り、実力を評価しています。

ホクトベガ

ホクトベガ

ダートでの強さが印象的で「砂の女王」の異名を持っていたホクトベガ。

1997年の引退レース・ドバイワールドカップを横山騎手が騎乗しています。

しかし、レース中に転倒してそのまま予後不良・安楽死という処置が取られてしまいました。

横山騎手にとってとてもショックな出来事で、帰国後は自殺も考えるほど落ち込んでいて「自分の強引な騎乗が招いた悲劇」と語り、このレース以降競走馬に無理をさせるような騎乗をしないよう心に誓ったそうです。

印象的なレース

2015年天皇賞(春)

ゴールドシップに騎乗して挑んだ天皇賞(春)。

最後に瞬発力勝負になる京都競馬場で、1周目に最後方でこのレース絶望的かと思われますが、2周目の向こう正面でスパートを掛けるという常識はずれの誰もが予想できないレースを展開し、最後はクビ差で天皇賞を初制覇しました。

競馬一族!?結婚や子供はいるの?

ここからは競馬一族として知られる、横山騎手の家族構成について紹介していきます。

家系図

父が元中央競馬騎手というだけでなく、叔父にも競馬関係者がおり、一般女性と結婚し3人の息子がいます。

長男の和生と3男の武史は現在もG1レースなどで活躍するジョッキーで、親子3代同一G1制覇という記録も成し遂げています。

親子3代同一G1制覇

名前 レース名
1969年 横山富雄(父) 天皇賞(秋)-メジロタイヨウ
2009年 横山典弘 天皇賞(秋)-カンパニー
2021年 横山武史(3男) 天皇賞(秋)-エフフォーリア
名前 レース名
1971年 横山富雄(父) 天皇賞(春)-メジロムサシ
1996年 横山典弘 天皇賞(春)-サクラローレル
2022年 横山和夫(長男) 天皇賞(春)-タイトルホルダー

横山典弘騎手の年収は?

騎手の年収は中央競馬と地方競馬でそれぞれ異なりますが、JRA騎手の平均年収は1,000万円とも言われています。

騎手には2つの働き方があり、1つめは厩舎所属で2つめはフリー所属になります。

年収の計算について

騎手の年収の計算は次のように算出できます。

  • (レース賞金×5%)+レース出走手当+調教馬の調教手当

ただし、調教料は1頭数千円で1日5頭まで。平地レース賞金=5%、障害競走=7%といった決まりもあります。

年度別年収(過去10年分)

年収 騎手の平均
2022年 6547万 3089万
2021年 4160万 3988万
2020年 9940万 3966万
2019年 7219万 3766万
2018年 7536万 3948万
2017年 7980万 3936万
2016年 8146万 4019万
2015年 1億 4037万
2014年 1億2639万 4041万
2013年 1億1029万 4045万

近年ではなかなか1億に到達している年はありませんが、騎手の平均年収は毎年越えており、55歳となった現在もトップジョッキーとして活躍していることが分かります。

2021年に発表された世界のジョッキー生涯獲得賞金ランキングでも2位となっています。

またこのランキングでは上位陣を日本勢が占めており、世界的に見ても日本のジョッキーの年収の高さや競馬人気が伺えます。

まとめ

本記事で紹介した、横山典弘騎手は55歳というベテランジョッキーですが、年齢を感じさせない走りで現在も第一線で活躍を続けています。

父が元騎手なだけでなく、息子2人もトップジョッキーという競馬一家であり今後の父子の活躍にも目が離せません。

5月の注目レース

会場 レース名
5/20 京都 平安ステークス-G3
5/21 東京 優駿牝馬(オークス)-G1
5/28 東京 東京優駿(日本ダービー)-G1

なかでも注目は横山典弘騎手と息子の和生・武史も参加する5/28の日本ダービー。

日本ダービーは3歳馬限定のレースで、競馬界全体においても、このレースで勝つことが「最高の栄誉」とされ「競馬の祭典」とも称されています。

横山典弘騎手はこのレースでトップナイフに騎乗が予定されているので、是非ナマの競馬の臨場感を体験しに行ってみてください!