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騎手を引退した福永祐一が次に進む道は調教師!これまでの功績を紹介

2023年2月で現役騎手生活に幕を閉じた福永祐一

父が現役時代に『天才』と呼ばれた福永洋一元騎手ということもあり、サラブレットとして若くから注目を集めました。

本記事ではそんな彼の誕生から引退までの騎手人生を以下の項目に沿って解説していきます。

  1. 福永祐一はどんな人物?
  2. どんな成績を残したか
  3. 主な騎乗馬・印象的なレース
  4. 生涯年収

是非、最後までご覧ください!

まずは先日ラストランを終えた福永祐一騎手のプロフィールや生い立ちを紹介していきます。

福永祐一のプロフィール

福永祐一

  • 生年月日:1976年12月9日(46歳)
  • 身長:160cm
  • 体重:52kg
  • 出身地:滋賀県栗東市
  • 趣味:ゲーム
  • 所属:ホリプロ

出身の滋賀県栗東市は競走馬のトレーニングセンターがある場所として有名で、幼い頃から騎手を目指す環境が整っていたことが分かります。

また芸能事務所にも所属しており、各種メディアへの出演やイベント出演のサポートも現在は行っています。

誕生から競馬学校卒業まで

1976年12月9日に滋賀県栗東市で生まれます。

父には通算勝利数983勝を挙げ「天才」と呼ばれた名騎手の福永洋一。

そんな父の影響で幼い頃から競馬に興味を持ち、中学2年の時に騎手になることを決意。

母親の猛反対もありましたが、説得をして1993年にJRA競馬学校の騎手課程12期生として入学しました。

福永入学

※出典:入学が決まり喜ぶ福永と母・裕美子さん

同期にはJRA初の双子騎手柴田大知・柴田未崎兄弟、JRA初の女性騎手細江純子・牧原由美子、和田竜二などタレント揃いであり、競馬学校花の12期生と称されていました。

デビューからキングヘイローとの出会い

1996年に卒業後は北橋修二厩舎で所属。

同年3月にデビューすると、中共競馬第2競争に出場し初騎乗初勝利を挙げると、続く第3競争でも勝利し、史上2人目のデビュー2連勝を飾ります。

11月には武豊以来となる新人50勝、12月には香港国際カップに出場し海外初騎乗を果たします。

この年は最終的に53勝を挙げて、JRA賞最多勝利新人騎手を獲得。騎手人生最高のスタートを切りました。

翌97年には川崎競馬場にて重賞を初制覇。

天才二世と騒がれるようになった同年には、キングヘイローとタッグを組み東京スポーツ杯3歳ステークスで勝利を挙げ、中央重賞を制覇します。

キングヘイローはこれがデビュー戦で、元々は武豊騎手が騎乗予定でしたが、他の馬の騎乗依頼を受け、たまたま近くにいた福永が騎乗することになったと言われています。

これ以降、キングヘイローにはデビュー戦から4歳までは1戦を除き、すべてのレースを福永が騎乗することになりました。

初めての日本ダービー

ジョッキーなら誰もが憧れる夢舞台『日本ダービー』への初出場は1998年。

新人騎手が初出場から有力馬でのダービー挑戦で注目を集めましたが、結果は14着と大惨敗。

福永ダービー

※出典:惨敗に終わり呆然とした表情の福永

緊張にのまれ、頭が真っ白になった。

引用:Sports Graphic Number 953号 2018年5月31日発売)

と語り、夢舞台から一転、悪夢のレースになったと振り返っています。

ファンからも、「父の名声で有名馬に騎乗しているだけ」など厳しい言葉も囁かれ、初めての挫折を経験しました。

G1初制覇から悲願の日本ダービー制覇

一度は挫折した福永でしたが、1999年の桜花賞でプリモディーネに騎乗しG1初制覇を果たします。

それ以降はG1での勝利を積み重ね、2005年にはアメリカ合衆国で行われるアメリカンオークス招待ステークスでシーザリオに騎乗し優勝し、日本生産・調教馬初のアメリカG1優勝という快挙を成し遂げてました。

名実ともに一流騎手へと上り詰めた福永でしたが、「日本ダービー」だけはいまだに勝てておらず、父・洋一さんも日本ダービーに勝つこと無く引退しているため、ダービーで勝つことは福永だけでなく「福永家の悲願」でもありました。

そして迎えた2018年第85回日本ダービー。

キングヘイローでダービーに初挑戦してから、19 回目の挑戦にして日本ダービーを初制覇し、デビュー23年目でダービージョッキーの称号を手に入れ「福永家の悲願」を達成しました。

ダービー初制覇

※出典:悲願達成に目をうるませる福永

ジョッキーとしての絶頂期と引退決意

悲願のダービー制覇から調子を上げた福永は、2020年に皐月賞・日本ダービー・菊花賞をコントレイルに騎乗し優勝。史上最年長の43歳で3冠ジョッキーの仲間入りを果たしました。

そんなジョッキー人生の全盛期を迎えた福永に相次ぐ不運が襲いかかります。

2021年、ピクシーナイトで出場した香港スプリントにて先頭を走っていた馬が転倒し、それに巻き込まれる形で転倒・落馬して左鎖骨を骨折してしまいます。

※出典:引退を決意した落馬レース映像

このレース以降はコロナウイルスの影響もあり、翌年の2月までリハビリに専念することを発表しました。

2022年にも騎手として初のダービー制覇を達成した相棒であるワグネリアンが急死するなど精神的にも追い込まれ、今後のジョッキー人生のビジョンを考えた福永の心の中ではこんな思いが強くなっていったといいます。

このまま騎手を続けていては馬と長く向き合えないのではないだろうか。調教師になれば、今よりもっと長く馬と向き合えるようになるはずだ。騎手も続けたいけれど、勝ちたいレースでも勝てたし、そろそろ騎手とは違う立場で競馬に関わってみよう

この言葉から本当に馬のことを愛しているということが分かりますね。

ジョッキーから調教師へ

2022年12月には調教師試験に一発合格し、調教師免許を獲得。

調教師免許と騎手免許は同時に所有できいないため、騎手免許更新期限である2023年2月での引退が決定しました。

引退発表以降は思うような成績は残せませんでしたが、最後まで自分なりにやりきれたことに後悔は無いと話しています。

同年3月4日に行われた引退式のスピーチの一部をご覧ください。

福永洋一の息子として生まれていなければ、騎手の道を選ぶことはなかった。母にも迷惑ばかりかけ、27年間も親不孝をしてしまいましたが、最後は健康な状態で引退できて幸せでした。これからは調教師としてファンの皆様に応援してもらえるような馬を競馬場に送り出したいと思います。最後の騎手人生でした。ありがとうございました。

福永引退

※出典:引退式で涙を流す福永

この両親やファンに向けての感謝の言葉で、本当に充実した騎手人生だったことが伝わってきますね。

福永祐一の主な成績・タイトル

国内での成績(直近10年G1優勝レース)

年月日 レース 馬名
2022/04/17 皐月賞 ジオグリフ
2022/02/20 フェブラリーS カフェファラオ
2021/11/28 ジャパンカップ コントレイル
2021/10/03 スプリンターズS ピクシーナイト
2021/05/30 東京優駿 シャフリヤール
2021/05/02 天皇賞(春) ワールドプレミア
2020/10/25 菊花賞 コントレイル
2020/05/31 東京優駿 コントレイル
2020/04/19 皐月賞 コントレイル
2019/12/28 ホープフルステークス コントレイル
2019/06/02 安田記念 インディチャンプ
2019/03/24 高松宮記念 ミスターメロディ
2018/05/17 東京優駿 ワグネリアン
2016/10/16 秋華賞 ヴィプロス
2016/03/27 高松宮記念 ビックアーサー
2013/10/27 天皇賞(秋) ジャスタウェイ
2013/10/20 菊花賞 エピファネイア

JRA中央競馬通算勝利数は歴代4位の2636勝を挙げています。

デビューの1996年には53勝で最多勝利新人騎手賞を獲得。

2017年には武豊騎手に次ぐ史上2番目のスピードでJRA通算2000勝を挙げます。

競馬ファンが最も印象に残っているのは、コントレイルとのコンビで2020年に中央競馬クラシック3冠を達成したことだと思います。

 国外での成績(G1のみ)

レース 馬名
2014年 ドバイデューティーフリー ジャスタウェイ
2005年 アメリカンオークス シーザリオ
2003年 クイーンエリザベス2世カップ エイシンプレストン
2002年 クイーンエリザベス2世カップ エイシンプレストン
2001年 香港マイル エイシンプレストン

2005年のアメリカンオークスで史上初日本生産・調教馬での優勝を成し遂げます。

福永祐一といえばこの馬3選!

ここからは福永祐一が騎乗してきた馬の中で印象に残っている馬名やレースを紹介していきます。

キングヘイロー

古くからの競馬ファンの方は福永祐一といえばこの馬を思い浮かべる人が多いのではないでしょうか?

デビューから逝去まで27戦中13戦を福永が騎乗しており、戦績だけを見ればG1を取り逃すどころかダービー惨敗などの苦い思い出が多くあるが、記録よりも記憶に残る馬として、福永自身も「恩人と呼べるような馬」と称しています。

キングヘイロー

※出典:重賞初勝利時(1997年)

エイシンプレストン

福永にとっての師である北橋修二調教師の管理馬で、デビューから引退レース全32戦すべてを福永が騎乗しG1で4勝を記録しました。

未勝利戦を勝利して迎えた朝日杯ではレジェンドハンターを差し切りG1初勝利を飾ると、4歳時には香港に遠征し香港マイルに出場すると、中団から鋭い末脚を見せて福永に海外G1初勝利をプレゼントしています。

エイシンプレストン

※出典:香港マイル優勝時(2001年)

コントレイル

ディープインパクトの最高傑作で福永を3冠ジョッキーにした名馬。

2020年には皐月賞・日本ダービーをライバルたちを寄せ付けない走りで快勝し、2冠を達成すると、日本ダービー後には福永に「遊びながら勝てる相当優秀な馬」とまで言わしめました。

3冠がかかった菊花賞でもアリストテレスとの激闘を制し、史上初の父子2代無敗での3冠達成を成し遂げました。

翌2021年のジャパンカップでの引退レースは記憶に新しいでしょう。

序盤は中団でレースを進めた福永は、直線で一気に抜け出し、2位と2馬身差をつけ優勝し、有終の美を飾りました。

コントレイル

※出典:コントレイル引退レースで有終の美を飾り涙を流す福永

福永祐一の気になる年収は?

騎手の年収は中央競馬と地方競馬でそれぞれ異なりますが、JRA騎手の平均年収は1,000万円とも言われています。

騎手には2つの働き方があり、1つめは厩舎所属で2つ目はフリー契約になります。

今回は騎手時代の成績を参考に年収を割り出したいと思います。

年収の計算について

騎手の年収の計算は次のように算出できます。

  • (レース賞金×5%)+レース出走手当+調教馬の調教手当

ただし、調教料は1等数千円で1日5頭まで。平地レース賞金=5%、障害競走=7%といった決まりもあります。

年度別年収(過去10年分)

年収 騎手の平均
2022年 1億3788万円 3809万円
2021年 1億9848万円 3988万円
2020年 1億8663万円 3966万円
2019年 1億5656万円 3766万円
2018年 1億4565万円 3948万円
2017年 1億3387万円 3936万円
2016年 1億5910万円 4019万円
2015年 1億4827万円 4037万円
2014年 1億4635万円 4041万円
2013年 1億6709万円 4045万円

福永祐一の引退まで直近10年間のトータル年収は15億7988万円。

2021年に発表された世界のジョッキー生涯獲得賞金ランキングでは4位となっています。

また、このランキングでは上位陣を日本勢が占めており、世界的に見ても日本のジョッキーの年収の高さや競馬人気がうかがえます。

まとめ

本記事で紹介した福永祐一は、日本でもトップクラスの人気を誇る人物でした。

彼はとても心の優しい人物で、多くの後輩から慕われファンからも愛され、馬にムチを打つことを嫌う騎乗スタイルからもわかる通り今後も調教師として多くの名馬を誕生させていくことでしょう。

こちらの記事を読んで少しでも競馬に興味を持った方は、実際に競馬場に足を運んで見ましょう!

GW開催予定のレースは次の通り。(4/29~5/7)

会場 レース名
4/29 東京 青葉賞(G2)
4/30 京都 天皇賞春(G1)
5/6 京都 京都新聞杯(G2)
5/7 東京 NHKマイルC(G1)
5/7 新潟 新潟大賞典(G3)

是非、生の競馬の臨場感を体験しに行ってみてください!

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